LOGINあれから三日。この終末的な世界での暮らしにも少しずつ慣れてきた。
制服の上にトレーナーを着込み、コートを羽織り、マフラーと手袋をして毛皮の帽子を被る。靴はスニーカーではなく工事現場などで使ってそうなゴツイ安全靴を履き、瓦礫の海を泳ぐ。 それは食料を手に入れるためだ。 コンビニやスーパーなどの跡地には食べ物が結構残っており、それを回収するのが俺の仕事。ついでに黒い渦をこっそりと探してはみたが、そちらはまるで見つからない。 見渡す限りの廃墟が眼前に広がっている。 今日は快晴ということもあり青々とした空が雄大に広がっているが、その下を彩る街並みはどうしようもなく地獄だった。 冷たい風が肌を穿つ。いずみが言うには今は七月で間違いないはずなのだが、とても七月の空気ではない。昨日コンビニから拝借した温度計を確認すると現在の気温は三度。関東では真冬である。 雪こそ降っていないが、この瓦礫の世界でそんなもの降ったら動けなくなってしまうのではないだろうか。怪我をしても病院はない。恐怖がどくんと心臓を跳ねさせる。 さて、仕事だ。俺はスーパー跡地の中へと入る。まだ若干スーパーの面影が残っていて、天井こそ崩れかかっているが中に入れたし、薄暗い店内には商品が残っている。 ただ、食料は少なかった。 日持ちしない生ものは一つもなく、スナック菓子や缶詰も数が非常に少ない。この寒さのお陰で腐臭をまきちらすものはなかったが、明らかに変色して傷んでいるであろうパンは持って行けない。 やむなく、俺はわずかな缶詰を手提げに放り込み、店を出た。店はミシミシを嫌な音を立てていて、長居したくないのだ。 帰り道、がさごそと手提げの中で缶詰が揺れる音がする。肩に垂らしたスポーツバッグは対称的にすっからかんで、歩くのに邪魔なだけだった。 瓦礫の海をサーフィンしながら宮一へと戻る。 鉄で出来た眉みたいな物体が校庭の隅っこにあって、これを『箱船』というらしい。体育倉庫を改造したものらしく、中には畳を敷いてあり、そこが現在俺たちが生活している場所だ。元が体育倉庫だけあって大したスペースはないが、崩れかかった校舎で生活するよりは遙かに安全だった。 俺は箱船の隣に設置した物置に食料を並べる。缶詰十五個。本当に大した数じゃない。 倉庫には缶詰やらスナック菓子、乾パン、粉のスープなどが大量に並べられている。生ものは一つもない。全部保存食だった。 ぐらり、大地が揺れる。よくあること。日に百回はあるのでもう慣れた。 と、缶詰が崩れそうになったので咄嗟に押さえて並べ直す。 「ふう」 「春弥ー、食料見つかったー?」 声が背中から聞こえてきた。 振り向くとそこにはいずみが居て、彼女もバッグから二十個ばかりの保存食を取り出し、見せつけてくる。 俺は苦笑し、肩をすくめる。 「いや、さっぱり」 「やっぱねー。そろそろ他の地域に遠征しないとダメかもしれないなあ」 あまり遠出はしたくない。どこもかしこも瓦礫だらけで歩くのが容易ではないからだ。 しかし近隣のコンビニやスーパーはもう全滅状態。贅沢は言えない。 いずみは栗色の髪の毛を梳きながら、はは、と苦笑を返した。 と、その時。 「ん」 もう一人の女の子がやってきた。やはり制服の上にコートと帽子、そしてマフラー。まあ、俺たちと同じいでたちだ。歳も同じだろう。 腰まで届く黒いストレートの長髪とキリっと鋭くつり上がった瞳が印象的で、背丈も中々に高い。百六十後半はあろうか。スレンダーな体躯だが姿勢がいいためどこか大きく見える。 彼女は天藤由那。箱船のメンバーである。 彼女はバッグから――なんと牛肉と豚肉のパックを取り出し、俺たちに見せつけてきた。 「あ、すごっ、お肉!? 由那すごーい、どこでこんなものを!?」 いずみの驚きに、由那はぼそっと答える。 「民家の冷凍庫。凍ってたから奇跡的に腐ってなかった」 「えー、冷凍庫はあらかた探したと思ったのに、まだあるもんだねえ」 「しかし……よそ様の家の冷凍庫漁るっていいのかなあ」 あくまで倫理的な問題。しかしいずみは呆れたように俺に冷たい視線を向けながら。 「いいんだよ。どうせ誰も住んでないんだから」それから俺たちは幾度かの休憩を適宜に挟み、旅を続けた。 温度計は持ち歩いていないからわからないが、急に気温が低下したようで、毛皮の帽子を被っていても頭がキーンとするほど寒い。脳がシャーベットになりそうだ。 鼻毛が凍る。マスクをして、その上にマフラーを巻いても寒くて寒くて仕方がない。もはや夏を思い出すことが出来ない。全身にカイロをつけ、唐辛子を塗りたくっても寒さを防げない。あまりにも馬鹿げた寒波が俺たちを襲った。 空はいつの間にか灰色の雲が覆い尽くし、雪が降り始める。 風がないことだけがせめてもの救いだった。 誰も、何も言わなかった。喋るとそれだけカロリーを消費するからだ。 先程の会話でいずみが言ったように、天変地異も定期的に発生するようになる。その度に大地はひび割れ、瓦礫は滑り落ち、いつもならスタスタと歩けるはずの大通りが、ひどく通りにくいものになる。 スパイクを履いていても足下が滑る。地震はひっきりなしに起こる。歩いても感じられるということは、震度は五くらいあるだろうか。 これでブリザードが吹き荒れたら最悪だ。急がないといけない。 でも焦るとそこに待っているのは死であり、ゆっくりと、慎重に、丁寧に、俺たちは瓦礫やクレバスをくぐりながら駅ビルへ向け、一歩一歩進んでいくのだった。 だがやがて体力の限界にさしかかる。腕時計を見ると夜の九時。空があまりにも白いからわからなかった。そんなに歩いていたのか。 場所は公園。といっても木々が生い茂り、散歩コースがあるような自然公園ではなく、滑り台やブランコがある、ごく普通の公園だ。 だがそれでも周囲には家々やビルがないため、瓦礫と言えるのは公衆トイレの残骸くらいのもの。俺たちはここでビバークをすることを決めた。 「ご飯、できた」 由那が火をくべ、テキパキと人数分の食事を振る舞う。大量の缶詰、カロリーメイト、スープ、チーズ、チョコレート、さらに白湯。水分は沢山取った方がいいとのこと。 「あ、ありがとう由那……手際いいね」 「慣れてる」 「そ、そう……」 何故慣れているのかはわからないが、あまり深く
「ためらいがあったな。僕としては、いや、我々としては死ぬのは嫌だ。どうしても死にたくない。そして僕には僕の考えがあった。文明を再興するという、ね。わかるか?」 「……何が言いたいんだ?」 「帰るなら今のうちだと言っているんだ。どうなんだ? 僕はもう皆からの信任がない以上、強制が出来ない。したって誰も付いてきてくれないからだ。だが、田下、君がやめようと一言言えばそれで終わるんだぞ? この意味わかるよな?」 「…………」 わかる。墓川の言わんとしていることはわかる。 だから、俺は言葉を選ぶ。選んで、選んで、選んで。 その間の沈黙がしかし、墓川の顔をどんどん渋くさせていく。 まずい、そう思った、瞬間。 「行こ」 由那が、救いの手を差し伸べてくれた。 「天藤……」 ぎろりと由那をねめつける墓川。 だが、味方になってくれたのは彼女だけではない。いずみもだ。 「墓川、あんたの気持ちもわかるよ。でもさ、もう箱船にはいられないの、最近の低下していく気候でもわかるっしょ? 天変地異もさ、ここ半年なかったじゃん。今日来たよね? 明日も来るかも知れない。いや、数時間後に来るかも。ラストフィナーレの時みたいにさ、ひっきりなしに来るかも知れない」 「……香坂」 そして二人のお陰で、俺もやっと言葉を組み立てることが出来た。 言葉という名の弾丸を、それを装填し、墓川に向けて発射する。 「墓川、俺の意見を言う。確かに百パーセントとは言わない」 「なんだと?」 「何故なら俺は見ていないからだ。黒い渦も、そして、ラストフィナーレも」 「貴様……」 「でも、墓川の言う文明の再興は無理だ。いずれ俺たちは死ぬ。それは九十パーセント以上だと思う。缶詰探したり、畑で野菜をちょっとだけ育てたくらいじゃ文明は作れない。いずれ缶詰は手に入らなくなるし缶詰にだって消費期限はある。数年後には缶詰も食えなくなる。獣がいないからタンパク質が取れない。この寒さじゃ稲は育たない。野菜だけじゃ人は生きていけない。それは仮に全球凍結がなくても起こりうる未来なんだ」 墓川の隠
ロープの最上段まで辿り着くと、皆が安堵の色を持って出迎えてくれていた。 嬉しい。素直にそう思う。 だが、その気の緩みは花香にもあったようで、はしごの上に戻った彼女はバランスを崩し、再び奈落へと―― 「くっ!」 「墓川!」 墓川が、咄嗟に花香の手首を取った。 「塔月。手を離すな。僕が引っ張る……」 「あ、た、助け……助けて……」 甘えている? 違う。これは悲鳴だ。花香時代ではあれほど平然としていた彼女でも、一度助かった安堵から再び奈落に墜ちるとなれば、その精神は穏やかではいられない。 人間は本質的に弱い生き物だから。 となれば黙って見ているわけにはいかない。俺は面木にはしごを持たせると、花香と墓川の元へ大急ぎで進んでいく。 怖いとか、また墜ちるのは嫌だとか言っている場合じゃない。 「わかってる! 待ってろ!」 そう叫ぶと、墓川は嬉しそうに笑った。一人では無理だということだろう。 「私も」「ん」 さらにいずみと由那もついてきて、四人で花香を何とか引き上げることに成功した。 「はぁ……はぁ……あ、あああ……」 助かった花香は泣きながら――失禁していた。 「漏らしたか……やむを得ない」 墓川はそう言い、改めて花香にクレバスを渡らすのだった。 ただクレバスを渡るだけで一時間以上かかった。 たった十メートル。ひとまたぎ、走れば一秒。 最初からこんな調子で果たして、目的地へとたどり着けるのだろうか。 どうしようもない不安が、鉛のようにのしかかるのだった。 そんな時だった。 「なあ、田下」 「な、なんだ墓川?」 墓川があまりにも暗い口調で訪ねてきたので、少しぎょっとしてしまう。 「今僕らは死の淵に立った。おそらくこれからも立つだろう。だからこ二つ聞きたい。一つ、黒い渦は本当にあるんだな?」 「ある。間違いない」 これは即答した。しかし墓川の猛攻は止まらない。 「もう一つ、世界は本当に終わるの
「あたしさあ、みんなとちょっと違うんだよね」 「というと?」 ただ、花香の話を聞いていると、ほんの少しだけ気が紛れる。それが嬉しくて、俺は素直に付き合うことにした。 「ラストフィナーレの時、あたしはシェルターにいなかった」 「え? それで、どうやって……」 「友達とダベってた。そしたら月が破壊されて、衝撃波で学校吹き飛んだ。だけど、あたしは数秒前にそれに気づいたから」 「…………」 「友達をクッションにして生き延びた」 「…………」 それは、花香のトラウマであり、罪だった。 心を押し潰さんばかりの罪悪感が、彼女の音吐にどうしようもないほど篭もっていて、俺は何も言えなかった。 花香は続ける。 「田下。あんたがさ、他の世界から来たってのは、実は理屈じゃなくて何となくわかるんだよ。理由は簡単。あんた、終末慣れしてないもん」 「終末、慣れ?」 地球酔いに続いて新しい言葉に、俺は困惑する。 しかし花香はなんてことのないように頷く。 「そ、終末慣れ。宮一の連中もさ、なんだかんだ生き残ってるから少し壊れてるっていうか、頭おかしいのね、みんな」 「…………」 「でも、あんたは普通なんだ。まともなんだ。でもそれはさ、この世界じゃおかしいんだ。ありえないんだよ」 「……なる、ほど、な」 確かに一理あった。 この世界は異常だ。狂っている。 だから、狂ってないと生きていけないのだ。 「あーあ、眠くなっちゃった」 「こ、ここで眠れるのかよ、お前は……」 でも、俺はどうやってもここまでは狂えない。 「田下はほんと普通だねえ」 あはは、と花香は楽しそうに笑った。 それはまるで、昔懐かしの旧友に出会ったかのようで、瞳の中にはいささかの曇りもなくて、こんな状況だというのに綺麗だと思ってしまうほどの透明度を誇っていた。 もっとも、クレバスの底で風船化した死体の山で命を繋ぎ止めているという状況でその顔をされると、たまらない恐怖を覚えるのだが。 ああ
………………。 …………。 ……。 ホワイトアウト。 「く……、う……こ、ここは……」 花香を助けようと手を伸ばし、そのままクレバスの底に墜ちた俺は、ゆっくりと意識を取り戻す。 不思議と、体は痛くなかった。どれくらいの高さかはわからないが、怪我をしていないというのはどうにも違和感がある。 何故だろうか、わからない。 ただ――臭い。 なんだ、この臭いは? ドブのような臭いがする。 今がラストフィナーレ後でなければ虫が湧きそうな悪臭だ。鼻が曲がりそうどころか砕けそう。吐き気がする。 俺は首を振りながらゆっくりと身を起こすと、花香は俺に気づいたようで、ふん、と鼻で笑いながら天を仰ぐ。彼女は体育座りをしていた。 「最悪。こんなところ、出られないじゃん」 「クレバスの底か……」 尻に伝わる感触が不思議なくらいグニャグニャしている。どうもなにかクッションがあったらしいが、それが何かはわからない。えらく柔らかく、しかし弾力があまりない。 ゴムボールやマットではないようだが、これはなんだろうか? 暗くてどうなっているのかわからないのが残念だ。 「…………」 と、花香がじっとこちらを見つめていることに気づいた。 何やら思案顔というか、暗くて判別は難しいが、考え込んでいるのは何となく伝わってくる。 けれどどうしてそんな顔になるのかは皆目見当もつかないので、 「ん? どうしたんだ?」 と素朴な疑問を口にした。 途端、花香が俺の胸元に飛び込んできたではないか。 「ありがとう田下くん! 田下くんのお陰で助かったよ! ほんとありがとね!」 「……なっ!」 あまりにも唐突な行為に、俺は開いた口が塞がらない。 こんな時に何故こんな態度をするのか。 いや、花香の異常性について、俺は出会った当初から感じ取ってはいた。時折片鱗も見せていた。 ただ、面木や墓川のような暴力性を伴わないからスルーしていただけだ。 彼女は、異常だ。
次に渡ったのはいずみだった。 「じゃ、私も……う、こ、これは……ねえ、子供たち、どうやって渡らせる?」 「……後で考えよう。今はとにかく渡ることを考えて」 「う、うん……ひい」 ぐらっと揺れるはしご。死ぬ気で押さえる。墓川と俺が全身全霊の力を込める。それでもはしごは揺れる。風がちょっと吹いただけで恐怖で身が竦みそうになる。 まさに地獄の旅路であった。 なんとかいずみも渡り終えると、次は面木だ。 「ケッ、ざけんじゃねえよ」 面木もはいはい歩きだ。かっこ悪いと思ったのか少しだけ上半身が浮いている。こんな所で見栄を張らなくてもよかろうに。 突っ込みたかったが集中力を削がすにはいかないので黙っていると、面木は割かしあっさり通過した。 ……やっぱり俺がチキンなだけか? 次に渡ったのは花香。 だが、ここで問題が生じた。 「あたしにここ通らせるのかよ……ひっ! あ、ああ……」 花香は俺以上に怯えていた。涙をこぼしながら一歩も進むことができず、一メートル進んだだけで止まってしまった! 「花香!」 俺が叫ぶが、花香の耳には届いておらず、「あ、ひ、ひぃ……」 と蚊の鳴くような鳴を上げるので精一杯のようだった。 仮説。 「もしかして、花香って……高所恐怖症なのか?」 「え……それって……」 いずみの顔が青ざめる。 その直後だった。 「ひ、ひい! きゃああああ!」 バランスを崩し、花香がはしごから転落してしまう。 「花香!」 俺が叫び手を伸ばす。だが、それがまずかった。地球の引力に導かれ、花香もろともそのままはそのまま奈落の底へと墜ちていくのだった。